2018/03/05

裁量労働制とやらで向上を目指す「生産性」の疑問☆

裁量労働制とプロフェッショナル制度、何れも反対、いや大反対です。

大多数を占める中間層である給与所得者(=会社員)が疲弊し、将来的には会社も社会も破綻します。

だって、突き詰めていけば、精神的にも収入的にも、会社にいるより、独立してしまったほうがいいという帰結になるからです。

それにしても、経団連など経済団体と呼ばれるところへ加盟していることを「誇り」に思っている経営者には理念がない、と裁量制度法案絡みの経緯を見るにつけ、改めて認識しました。


派遣労働者の固定化、有期雇用制度の改変、などなどかつて経営者主体に変更された数々の労働施策によりよくなったのは企業業績だけ。一方で多くの会社員のみなさんはそれを感じられていないのではないでしょうか。


そもそもですが、裁量する労働量(=成果達成の計画)は経営者が決めるものであって、労働者が決めることではないはずです、会社組織においては。

言い換えると、経営者が負うべき責任を労働者にすり替える、ってこと。サラリーマン経営者が考えそうな「目の前さえよければいいんだよ」♪という幼稚な思考回路ですね。


■生産性はどうやって計るの?
生産性を上げる、って盛んにあ〇総理大臣は連呼してますけど、生産性って何ですか?
例えば、工場なら、製品を1時間に10個作るのを12個作れるようにすれば生産性は上がったことになります。

しかし、裁量労働制で対象としている職務は、そういうたぐいのものではないものばかり。
一例として、仕事をするうえで肝になる対人関係(折衝や交渉)なんて、効率だけで測れるものじゃないでしょう。

色々な尺度があるはずの職務を一緒くたにして生産性と称し、一律に数値化して比較するなんて、物差しやハカリの単位をごちゃまぜにして背比べさせる、まったく意味がない比較(=詭弁で用いられる手法)です。

「利益にならない活動には一切カネ出さないから♪」ってことでしょ?
まさに、机上の数字しか見ない、理念もない、サラリーマン経営者の典型。

■裁量労働の裁量って誰がどうやって決めるの?
職務定義/職務定義書で仕事の内容が明確にされているなら、それを元に裁量できる。
しかし、明確になっていない環境(=ブラック企業)では、上司の裁量しかない。そこが一番の基礎基本なのに、そこには一切触れない。

結局、裁量を決めるのは労働者ではなく、得たい利益から人件費を算出する上司と経営者です。労働者の選択や意見見積もりなんて、まったく配慮されるはずがありません。

だって、裁量労働を導入するのは、机上の数字しか見ないサラリーマン経営者ですから。

■脱時間給=給料減らし
経営層の浅はかなサル知恵。
理念も人徳もない、机上の数字に一喜一憂する、サラリーマン経営者のまん延。
新聞をはじめとする、「儲かっている会社の社長はエライ」とする記者マインド。

特に危惧を感じるのは、日経新聞記者が書く記事に見る「裁量労働」への賛辞記事。
職業としての記者と編集者は、裁量労働の対象である(厚労省「専門業務型裁量労働制」サイトより)にもかかわらず、自身が対象となった時にどうなるのか?という視点が欠落していると感じるからです。

生産性ってどうやって計算するんですか、記者のみなさんの。
まずは、経済紙の記者として、そこから提示してもらいたい。できないと思いますけどね。

新聞記者の成果物って何ですか?←「経営者が考える利益を生む」成果物
それを数値にできるんですか? ←「経営者が考える生産性向上」を示す数値
それらを達成できなかったら減給を受け入れるんですか? ←達成数値が目的化

経営者との接触を繰り返すうち、「勘違い」して、記者が経営層に迎合しているのではないでしょうか?

まさか、「既に、記者は裁量労働契約済みだから、他の会社員も巻き込んでしまえ!」なんて考えているんでしょうか...それはないと信じたいです...


■参考-人件費を減らすことの意味
バイトや派遣社員に置き換えることで人件費を抑制する、なんて経営者じゃなくてもできることです。
それなのに、そんなことで費用を減らして利益を出したことをほめたたえるなんて、どうかしていると感じるのは私だけでしょうか。

だって、同じ労働に対して「値引き」を強制しているってことでしょ?
つまりは、労働の裏にある人間や生活を、製品や商品と同じ目線でしか見ていない、ってこと。
大多数を占めるサラリーマン経営者の浅はかさを感じざるを得ません。


以上です。