2018/01/10

野生動物駆除を推進すべき

野生動物が住民に危害を加える報道が目につきますね、最近。

行き過ぎた動物保護の帰結であり、早急に見直し、駆除を最優先すべきではないでしょうか。

報道を見るにつけ、違和感を感じる点が、3つあります。

(1)危害を加える動物を保護するのは誰のため?
(2)人を助けるために動物を駆除した人が責められる理不尽
(3)保護を叫ぶ人たちは被害防止に貢献しているのか?

なお、ここでのお話は、知床など完全に人と隔離された地域の話ではなく、人里に近い地域に限定したお話ですので、念のため。

■誰のために加害動物を保護するのか
住民の生活を破壊破綻させているのに、なぜ、加害動物を保護する必要があるのでしょうか?

人間が社会を形成しているのは、人間としての社会生活を営むためです。

事象を引き起こしているのが人間だったら、身柄を拘束して被害拡大を阻止し、また、更生を期待し、収監して矯正を試みます。

しかし、動物には更生は期待できません。一例として、殺人熊が挙げられます。一度味をしめた熊は繰り返し人を襲うようになり、以後代々引き継がれてしまいます。

保護派のみなさんは、「人間が動物のテリトリを侵食するからだ」「自然を増やせば人里にはやってこない」と主張されます。

しかし、昨今は、耕作放棄地や手入れをしない山林が全国各地に激増しているんです。これらは、ヒトの手が入らない野生/自然な状態ということ。にもかかわらず、野生ではなく住宅地に出没して人に危害を加える。

つまり、人が手を加えていない自然本来の環境が増えても、人里にやってくる、ということであり主張の矛盾、いや破綻です。

こう指摘すると、今度は「里山を整備しないから」「昔は里山で動物と共生していた」などと言い出す始末。

昔、里山を挟んで共生していたのは、かつての日本人が質素な生活を営んでいたからです。動物から見て、人間から食物を奪うことが、自然から摂取する以上のメリットがなかった。

一方、今、ヒトの食物は高カロリーで富栄養化しており、動物にとって、自然から摂取するよりも簡単に生命維持に必要な食物を得られるわけです。

畑や果樹など、ヒトが手を掛けて栽培してきたものを奪っていくのも、同じ理屈です。

こうなると、自然の摂理に従い行動するのが動物。人里にバンバンやってきて食物を奪っていくのは当然です。

保護派のみなさんは、現状を直視し、保護が声高に叫ばれた論拠が間違っていたことを認め、駆除を最優先すべきです。

法律がわからない動物を、人間と同じ視線や同列の権利で取り扱おうとする論調や論理は、破綻しています。

特に、サルについては、早急に、行き過ぎた保護をやめ、駆除を推進すべきです。

■自分の身を守ることすらできないのか?
かつては、野生動物を狩猟で捕獲して、食料にしていたのです。ヒトが襲われるようになれば、身を守るために駆除していたのです。

これにより、書類や法律がなくても、野生動物が必要以上に増えなかった。

しかし、今は、野生動物は食料ではなくなった、届け出がない駆除は法律で禁止されている...
加えて、食料は、人里に行けばいくらでも手に入る...

野生動物が減るわけがないです。

そんな状態で、自分の身を守るために駆除することは正当なこと当たり前のことです。

届け出不要で駆除できるような法整備や行政の対応をお願いしたいです。

こういういい方は不適切ですけど、危害を加える動物は人里近くでは絶滅してしまっても致し方ないと考えます。

その上で、絶滅をさせたくないのであれば、徹底した管理体制を敷きヒトと完全に隔離した保護地区を設定するしかないと思います。


■保護派は何をしてくれるのか
これだけ人への危害が増えて社会問題化しているのに、保護派のみなさんが何か対応や被害救済に役立つことをしているとはまったく思えないです。

人間も動物の一員であることは事実ですが、他の動物とは違う社会生活を構成していることも事実です。


人間が一番エライ、とは思わないけど、事実上そうやって社会生活が成り立っている以上、人間の生活、いいかえれば人の命を守ることが一番大切なことではないでしょうか。

今、目の前で、ヒトの命や生活を窮地に追いやっているサルとイノシシとクマ、無届けでも駆除できる法整備や行政処置を願っています。

また、報道機関もおかしな視点での報道は慎んでもらいたいものです。例えば、東京に出没するサルや外来生物(アライグマなど)について、かわいいとかかわいそうなどという主観を挟んた報道姿勢には疑問を感じます。


■おまけ
動物保護からはそれますが...罪を憎んで人を憎まず、ということば、屁理屈です。

罪は罪であり、引き起こした事象に対して、責めを負うべきです。

他者による犯罪行為(脅迫/拘束/生命の危険など)に基づかない病気や精神状態を理由にして減刑または無罪放免されるなんて、とんでもない話です。

どうも、情状酌量や精神鑑定の意義が形骸化し、その理念が忘れ去られ目的化してしまったとしか思えません。

志が低い法曹関係者、検察官と弁護士と裁判官、にはガッカリしてしまいます。


以上です☆